東京徒歩帰宅記〜地震のあとで〜革靴とハイヒールの整然とした人波

 2011年3月11日午後3時前、「東北地方太平洋沖地震」発生時、築地・東銀座のオフィスビルの18階に居た。突き上げるような揺れのあと、うねるように揺れる。嵐にあった大型船舶に乗っているようだ。身の危険を感じて人生で初めて机の下に身を潜めた。窓の外、築地市場のむこう、お台場方面で黒煙が上がっていた。

 何度もの小さな揺れの後、セオリー通り、3時間後に大きな余震が来た。TwitterUstreamで経過をチェックしつつ、一応業務を終えた。実は、家のある等々力までは、東京駅→等々力という、都バス最長路線がある。昔、ヒマに飽かせて乗ったことがあるが、昼間で1時間半くらいかかった。電車がすべて止まっている状態で帰宅するには、一般道路で帰るしかない。東京駅のバスターミナルの場所をネットで調べようバスのサイトにアクセスを試みたが、アクセス不能。ってことはバスをチェックしている人が無数にいるということだ。徒歩帰宅を覚悟して、夕闇が降りた18時過ぎフロアを発った。
 地震の後で初めて外に出た。晴海通りは騒然としている。車道は渋滞して、歩道は人で溢れている。さながら、大晦日明治神宮前駅原宿駅のようだ。整然として一定のペースで人波は歩みを進めていた。初詣と違うのは、人の流れが双方向ということだ。ここでも混乱なく人々は進みすれ違っていた。時々列やペースを乱すちょっとラディアルなおじさんがいるくらい。空を見上げると、チャシャ猫の微笑みの残影のような上弦の月が浮かんでいた。
 僕は東銀座から新橋駅方面へ進む。銀座の飲食店も半分以上営業しているようだ。いつもは見過ごしていた電話ボックスに、待ち人の列を成している。僕は歩きながら、iPhoneradikoでラジオを聞いていた。時々、TwitterのTLを追ってリアルタイム情報をチェックした。
 新橋駅前に200mくらいの列が歩道の端に出来ていた。先頭はバス停かタクシー乗り場。この時点で僕は東京〜等々力のバスを諦め、バスの行程を歩きながら、バス停の列が減ったところで乗車を試みようと考えた(この読みが甘かったのだが…)。

 虎ノ門愛宕にさしかかり、空腹に気づく。腹が減っては戦はできぬ〜ということで、高級激盛り立ち食いそばの有名店・港屋にて「肉そば」。19:00過ぎで僕の次のグループで売切となっていた。港屋のスリット状の窓の外の歩道の人波はまったく途切れない。
 革靴とハイヒールの人波の中に、ヘルメットを被っていたり持っている人たちがいる。非常持出し袋と書かれたリュックを持っている方もいる。大企業はそのへんはちゃんと準備されているのだろう。有名企業のロゴの入ったヘルメットも散見される。揃いのヘルメット連中を見ていると、どうやら会社が徒歩帰宅シミュレーションをしていて、そこで定められたメンバーで歩いている人たちもいるみたいだ。

 さらに東京タワー方面へ進む。徐々に歩道が狭くなってくる。やっとすれ違えるくらいの歩道幅になると、我々の行軍は礼儀正しく1列縦帯になる。幅のない歩道橋を1列ですれ違う人波は蟻塚から出入りする優秀なアリさんたちを想起させた。
 東京タワーの麓に来ると、<東京タワー〜目黒駅>と表示された都バスが過ぎた。結構空いている。これはと思い、東京タワーに向かうが、バス停の時刻表を見ると1時間に2本くらいしかないので諦める。
 慶応大学正門前に差し掛かる。帰宅出来ないでいるK大生が、セブンイレブンにたむろい溢れいている。革靴とハイヒールの行軍は続く、続く。
 魚籃坂で等々力行きの都バスに遭遇。渋滞しているので歩くほうが速い。バス停を見つけ、それほど並んでいないので待ってみる。しばらくしてバスは来るが、満員のため降車だけで乗ることが出来なかっった。ずいぶん待ったであろう、バス停先頭の方も文句ひとつ言わず、次のバスを待っている。僕はバスを諦め、再び行軍に参加した。
 歩道の人波は減らない。時々人の流れに対してラディカルな行動をとる人がいるが、それでも僕らは整然と進む。車道も当然渋滞しているのだが、パッシングのクラクションはほとんどない。交通整理に向かう警察車両と救急車のサイレンが時々響く以外、いらだちのクラクションは道中ほとんど耳にしなかった。

 国道1号に入った。超幹線道路だから、歩道の幅も広いが、いっぱいに革靴とハイヒールの人波も拡がっている。そうか、このまま横浜方面に歩いて帰宅しようとするツワモノもいるんだな、と思いつつ、僕は目黒通りを右折した。そして、旧・都ホテル東京の前あたりでフクラハギをつる。日頃の運動不足はこうしてしっぺ返しされる。2時間強歩いただけで躰が悲鳴をあげる。『その街のこども』の中の、森山未來クンの「おれ、革靴だし…」の台詞が今は痛いほど判る(物理的に)。
 足を引きずりながら、だましだまし目黒通りをゆく。白銀台を過ぎ、目黒駅。駅前のタクシー乗り場には400m位の列が。僕は等々力行きのバス停の待ち列が少ないのでバスを待つことに決まる。20時半頃、風が強くなり、体感温度が急に下がってくる。
 夜空には印象的なチャシャ猫の微笑み月がポカンと浮かぶ。
 バスは来なかった。寒風の中、文字通りガタガタ震えながら待つしかない。1時間が過ぎてようやくバスが来た。たぶん、魚籃坂でやり過ごしたバスだろう。しかし、5人ほどしか乗車することが出来なかった。じっと待つ、僕ら。我慢強いぞ、日本人。
 20分ほどして次のバスが来て、僕はようやく後部扉からバスにのることができた。運賃は払うことができなかった。
 こむら返った足が冷えてパキパキ状態。でも、バス停に留まり、降車するヒトが乗車率300%の車内から出てくるたびに、一度車外に出る。それをバス停ごとに繰り返すので、渋滞に加えてバスは遅々とした進まない。
 混雑したバスの車内も皆、耐えている。降りる時に声を荒げるおじさんがひとりいたけど、それ以外は整然としていた。それにしても、道中何人か遭遇したラディカルなヒトはある一定の年齢層のオジさんだったのは偶然だろうか…。
 というわけで、約15キロの帰宅、バス待ちがある意味裏目で4時間半かけて帰りました。こうゆう時の日本人の公(おおやけ)の精神は総体としてスゴイと思うし、誇りに感じる。