菫色の二台のマーチ

 近所に通るたびに気になるクルマがある。その家の駐車場には少し前の日産マーチが駐められているのだが、あまり見ないすみれ色で、その二軒隣の家にもまったく同色同型のマーチが駐まっているのだ。
 その二軒は親しい友人で示し合わせて、たぶん特別色のすみれ色のマーチを買ったのだろうか…いやいやそんな友達って何か変だ。
 それとも、何でも平等がモットーのお金持ちのおばあちゃんが、かわいい孫に同色同型のクルマをプレゼントしたのだろうか…二軒の苗字は違うから親戚でもなさそうだ。
 もしくは、Aさんが買ったすみれ色のマーチがあまりに素敵で、二軒隣のBさんも思わず同じマーチを買ってしまい、二台のマーチは仲良く今日もパーキングされているのだろうか。
 はたまた、Aさんは納車には時間がかかるけどすみれ色のマーチをウキウキして日産のディーラーで購入、その三年後、二軒隣のBさんはとにかく手頃な取り回しのいい中古車を探していて、多忙なBさんは仲のいい中古車屋のCさんに任せっきりで、条件に合う中古車がたまたますみれ色のマーチで、Cさんから納車されてBさんも気まずかったけど現金買取りだから替えることもできず、BさんはAさんに事情を話すが、Aさんも気分のいいものでもなく、それ以来ふたつの家はどことなく険悪な関係に陥っているのであろうか。

                   *

 その頃男と女の部屋には、いつも大滝詠一の『ロング・バケーション』のテープが流れていた。きらめく80年代の気分をまとったポップな楽曲を飽くことなくBGMにして、ふたりは食事をし夢を語りそして抱き合った。A面が終わりオートスキップでテープが早送りされヘッドがガチャリと回りB面が始まり『雨のウェンズデイ』が流れる。男はロンバケの中でこの歌がいちばん好きだった。運転免許をとったら最初のクルマは中古のワーゲン・ビートルがいいなとふたり話していた。
 その日曜の午後、目黒通りのワーゲン専門の中古車屋で男は決断をしようとぐるぐる思いを巡らせていた。手頃な価格で状態のいいワーゲン・ビートルとめぐり会ったのだ。彼女を連れて今日は最後の相談。
「このワーゲン、買おうと思ってる。ボディも水色で『雨のウェンズデイ』のワーゲンと同じだし…」と彼は言った。
「え? あの歌のワーゲンって水色なの?」と意外そうに彼女が尋ねる。彼は歌詞を頭に中でざぁーと検索してみてワーゲンが何色か言及されていないことに初めて気づいた。
「確かに何色か出てこないね。水曜日だからそのまま水色だと思い込んでたよ、おれ」
「あたしはすみれ色だとイメージしていた。菫色の雨が降ってるし…」と彼女が言った。
 彼はディーラーにすみれ色のワーゲンってあるのか訊いてみると、数は多くはないが時折出回ると言われた。すみれ色のワーゲン・ビートル…ふたりは乗るべきクルマはそれしかないように思えたので、ディーラーにすみれ色のワーゲンがあったらすぐに連絡をもらえるように予約した。
 すみれ色のワーゲンは目黒通りの中古車屋に納車されることなく時は流れ、ふたりはクルマを持つことなく別れてしまった。

 更に時は過ぎ世紀もまたいだ。男は家庭を持ち、小さいながらも建売の一戸建ても手にした。駐車場の大きさに合わせて、それまで乗っていた無駄にデカい中古の2ドアセダンを買い換えることになった。ディーラーをいくつか周り、妻は日産マーチがいいと言った。男はマーチのカタログを眺めていると、オーダー色の中にすみれ色があることに目が止まり、古ぼけた思いが小さなうずきと共によぎった。「ねぇ、色はすみれ色にしようよ…」
 ある雨の日、すみれ色のマーチで男が娘を保育園に送っていった帰り、二軒隣の空き家だった家に引っ越しトラックが停まっていることに気づいた。ようやく新しい家主が決まったようだ。その晩、引っ越しの挨拶に訪れた夫婦を見て男は驚く。あの別れたまま消息を知らない彼女だったのだ。
「うちと同じ色のマーチで驚きました。すみれ色、特別色ですよね」と微笑みながら挨拶をする夫の後ろで、女は男に小さく合図した。夜になっても菫色の雨がまだ降り続いていた。

…てな物語を妄想してしまった秋の午後(^^)。