24の功罪

 金曜の夜からある決意を持って(?)『24 シーズン6』を一気に観る。それほど容量のないHDD録画の多くの部分をこの半年間占めていた僕のとっての<案件>だった。FOXチャンネル、BSフジで録画され熟成されてました。世間としては、DVDのシーズン7がトピックなのだろうが、『24』はどうしてもレンタルする気になれず、テレビ録画で一応これまでのシーズンは追ってきた。
 1話44分を24回断続的に観ると、頭のいろんな回路が麻痺してくる。「〜〜だけが、唯一の手がかりだ!」とジャックの断定でロールプレイングは進められて、んで、その唯一の手がかりは、中途半端な手がかりだけ残して死んだり殺されたりしていく。伏線として純粋に犬死にしているモノも多いけど。途切れそうになった手がかりに、CTU総動員的におわらわ、下手なサッカーのようにみんなボールに集まっていく。いや、『24』のこの展開は別に6に始まったことじゃないけど、何か、特に顕著のような気がした。
1Q84』の青豆のアサシンの動機が、こんなもん?って思わせた功罪って、きっと『24』以降の陰謀・裏切り・意外な展開による登場人物の死のインフレ化による部分が大きいと思う、ほんとに。
 1日24時間の半分は夜なわけだから、夜間シーンの画作りとか、もう熟練に域にある臨場感を醸す手持ちカメラのブレとか、お決まりの劇伴とか、フォーマットは円熟している。けどさ、イデオロギーや宗教によるテロルやら、国家のパワーゲームやら、組織内の権力争いやら、個人的因縁やら、血縁の中にいさかいやら、ぜ〜んぶ同じラインでガラガラポンでお話を展開しちゃうのって、もうそろそろシリーズ的に経年劣化していない? 映画化や(2時間のフォーマット?)シーズン8までサザーランドと契約されているらしいけどさ。どうせ、TVで新シーズンやったら、僕も録画しちゃうんだろうけどさ。