イッセー尾形の一人芝居「わたしの大手町」感想
観てからずいぶん時間が経ってしまったが、2009年7月24日金曜日、大手町の日経ホールでイッセー尾形の舞台を観た。「大手町座 第1回」と銘打たれれ、計5回行なわれた公演は、これからもシリーズとして(多分)日経ホールで催されるという。原宿クエストホールでの、アットホームな舞台も僕は愛しているが、こういったホールでの尾形のステージも別の発見があるかもしれない。
サラリーマン、もしくは大手町(大きくは東京)をテーマにしたネタで構成された一人芝居は、どれも我々の心や記憶の端っこにこびりついたポイントをくすぐってくれる。新旧とりまぜた7本のセットリストは以下の通り。
1. リタイア(仮)
リタイアした商社マンが、昼時会社の周りをうろつき、昔の部下を見つけては、なにかと声をかけようとする。このネタ、どっかで観たような気がするが、演目が思い出せない。悠々自適なリタイアを気取っているが、どうしても仕事にアイデンティティを見出してしまう「昭和ヒトケタ」悲しいサラリーマンの姿を笑いをもって描く。
2.地下鉄
東京のサラリーマンなら誰もが経験している朝の殺人的な通勤ラッシュ。尾形の演技が、決して誇張ではないことのほうが、ある意味怖いことかも。この過激なサラリーマンは地下鉄自体に敢然と闘いを挑む。
3.アマンド新橋店(仮)
新作? 携帯電話で強気の「商談」をする、なぜだかゴルフウエアの中小企業のワンマン経営者。土橋の交差点近くのアマンドに30年巣食っているらしい。ITベンチャーぽく、意味をなさない横文字を羅列して煙に巻く、昔ながらのこうした圧力営業のおっさんって、いつの時代もしぶとく生き延びて行くんだよな、実際。携帯電話がないと成立しないネタ。
4.駐車場
今回の公演でこのネタが生で観ることができたのが一番嬉しい。僕はこの一人芝居のビデオを何回観たことか・・・。接待のため、面識のないクライアントを駐車場で待つうちに、自分が誰なのか分からなくなるサラリーマンを、イッセー尾形はある種の狂気をもって演じる。客席の笑いの種類が徐々に変化していくさまを体感できた。「あ、ちくしょう、忘れた・・」と、携帯電話を忘れた細かい演技を入れて、尾形は上手にこのネタを<今>でも成立するものとした。自分のケータイ見れば、彼の陥ったアイデンティティの喪失には至らないものね。ケータイって確かに外部記憶装置だなあ、こうして考えると。
5.転校生(仮)
東京に憧れるアラキくん(地下鉄の路線図を暗記している)。東京から転校してきた女の子に呼び出されてドギマギ。自分の田舎を莫迦にするアラキくんだが、実は地元の悲しい民話をこよなく愛する一面も持つ。異性に緊張して何だかその辺の葉っぱを食っちゃうのが可笑しい。
6.幸せ家族
名作! あのお父さんが帰ってきた!(別にどこにも行ってないか) 海辺の旅館に家族旅行に来た家族の夕食のひとコマを描く。内情はそんなホンワカしたもんじゃないけど、ニッポンのお父さん(サラリーマン)の、ガマンガマンの姿が僕らのツボをつく。
7.ひとみちゃん
元・ジャズシンガーのベテラン・ホステスのひとみちゃん(シリーズだったかな?)。妙齢のご婦人ばかりの大手町近く(?)の場末のキャバレーで、図太く、しぶとく、今日もサラリーマンの疲れを癒す、のかな? ウクレレとリンボーダンスが彼女のショータイム、指名料8000円の芸。イッセー尾形の音楽芝居は、やっぱいいっすね。
終演後、ひとみちゃんの姿のまま、サプライズで招聘したラーベさん率いる楽団のミニライブ。その場でセット転換する間、イッセーさんの「第九」のバイオリンでの独奏のサービスあり。
盛りだくさんで楽しいステージでした。今月もまたイッセー尾形を観る予定です。
地下鉄
駐車場
幸せ家族
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イッセー尾形はフツーの人を“自分だけはフツーじゃない”と思っている人をも含めて、誰にでもある状況の中で演じてみせる。
日本国内はもちろんのこと1993年から始めた「海外の各都市に生きる、ニッポンのサラリーマン」は良くも悪くも人目を引く存在だ。笑いと涙と、やがて感動と。イッセー尾形がサラリーマンとその家族、都市に生活する様々な人々を演じます。
さあさ、寄ってらっしゃい、観てらっしゃい。
イッセー尾形の一人芝居「わたしの大手町」がスタートします。