映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』感想

 ようやく、やっと観に行く。『1Q84』を読了するまでは観てはいけないような気がして公開3週目になってしまった。この週末の新宿バルト9では上映作品の中でいちばんの動員との印象。日本において今のところ、21世紀最大ヒットのインディーズ映画になることは間違いないだろう。
 TVシリーズを美しい映像で再トレースしていた『序』だが、その細かな変更点は、本作『破』への布石だった!(まだ回収されてない伏線もいっぱいあるけど) 冒頭のシーンから、スゲー、素晴らしい、おいおいどうなんの?あれれ、そう来る?スゲー、素晴らしい・・・を心の中で繰り返していた。予算や時間やスポンサーの都合という呪縛から解放された新劇場版は、ヱヴァやチルドレンの数すらも自由になり、前エヴァとは違うストーリーを奏で始めた。
 綾波レイの閉ざされていた感性の拡張が、本作のキーであり驚きでもあったが、僕がもっとも印象的だったのは、式波・アスカ・ラングレーだ。新しいアスカは加持さんに媚びないし、クラスでの人気も気にしない。キャラクター付けがシェイプアップされて、そのプライドの高さと強迫観念、そしてもろさがより浮き彫りになっている。ただひとり運命としての孤独を背負う。研ぎ澄まされて自分すら傷つけてしまいそうな程の鋭利な孤独・・・。痛いほど哀しい彼女の孤独が、びんびん伝わってきて涙が出そうになる。名字が空母の名前から駆逐艦に変更されたのも意味深だ。
 他の登場人物も設定が明確化してストーリーが小気味よい。加持リョウジはタラしの部分が減り、碇シンジへ<父性>をもって接し、生きていく意味を教えるという役割が解りやすくなっている。以前「すべてのキャラは自分の分身だ」と庵野秀明監督は言っていたが、今作でそれぞれのキャラクターが<尖鋭化>することによって出来てしまったスキマは、新キャラ、真希波・マリ・イラストリアスが一手に引き受けているのかもしれない。まだ謎の部分も多いが、物語の推進として次作『Q』でもポイントとなる役割を担うのだろう。キャラというか、使徒すらも、それぞれ目的を持った形状になり、素晴らしいCGで表現されていましたね。
 重要な小道具になっていたシンジくんがいつも聴いているSDATプレーヤーだが、TVシリーズや『序』では、いつも25曲目と26曲目を繰り返していた。TVアニメとして破綻した25・26話のサインだろうが、『破』でもまた25・26曲目だったので、またまたイヤな予感だなあと思っていたが、とんと背中を押されたように27曲目をカウントした! そしてヱヴァンゲリヲンはまったく新しい展開に突入した。
 久しぶりに、いや〜わくわくして映画観たっす。

公式サイト