夢見るDream

 睡眠中、僕はあまり夢を見ない。きっと見ても目が醒める覚えていない。でも何日か前見た夢を、独特の肌触りを伴って細部の自分の感情まで覚えているので、ちょと<夢>ということを考えている。
 現在の僕らが使う「夢」には、大きく言ってふたつの意味があることは、いちいち断るまでもないだろう。
1.睡眠中見るイメージが編集をされたもの と、
2.将来のポジティブな希望 のふたつだ。
 どうしてこのふたつの意味をなす言葉がひとつの言葉なのだろう?
  Wikipediaを繰ると、日本語としての「夢」が2.の意味を持つのは明治以降だとある。dreamの訳語として、「夢」に未来に描く大志的な意味が加わったようだ。英語のdreamには、大意として、1.の意も元々持っていた。キング牧師の「私には夢がある」のdreamと、寝ている際見る印象のふたつがあった。この辺は「愛」という言葉の意味が、開国後多義になったのと相似している。
 つまり、東洋、というか、元来日本人としての「夢」は単に睡眠時の記憶というイメージしかなかったのだ。なんか、これは納得いく。夢見ることは常に「夢や希望」にあふれていないものな、実際は。
 ということは、欧米人は、眠っている時するイメージも、基本的にはポジティブな方向性のことが多いのだろうか? そういえば、「悪夢」って、「bad dream」ではなく普通「nightmare」だな。