twitterでつぶやくこと、つぶやけないこと

 映画の試写が終わり、帰社しても特に用事がなかったので(勝手に)直帰した。帰宅の道すがら中延の焼鳥屋に久し振りに寄りたくなった。4時過ぎに開店して日によっては7時過ぎに品切れしてしまうお店なので、サラリーマンには夕方帰りが可能な時しか行けなかったりする店だ。
 5時過ぎに着いたが既に満席、15分ほど店の外で並びiPhoneTwitter Fonでタイムラインをチェックしながら時間をつぶした。入店してひとり席に着きオーダーをする。この店は小さなバインダーに挟まれた紙に鉛筆で食べたい串(焼鳥と屋号にあるが豚・牛のモツにも品揃えは及ぶ。僕はこの店でモツの部位の名前を学んだ)の名前・本数・焼き方(タレ・塩・スタミナ)を記入しそっと置く。飲み物は特製カクテル。ウォッカ(たぶん、とにかく透明なアルコール)にウィルキンソンジンジャーエールを注ぎビールをちょと足した<カクテル>。おかわりは中のレモンの数で会計される。
 まだ陽の高い時間だけど、お店はオヤジで埋め尽くされている。みんな程よく酔ってさくっと退店していく。オーダー方法もそうだが店の作法が出来上がっているのだ。敷居は高い分、慣れると居心地はいい。店が2回転目に入り、僕の隣の席にもひとり飲みのおじさんが座した。無言のまま串数本とカクテルをオーダーする。
 店がまた混んできて注文が立て込み、焼き場が大変そうだ。僕のバインダーにしるした新規のオーダーにも店のひとは気づいてくれない。店のおばさんの手の空いたタイミングを狙って「すいません」と声をかけて新しい焼き鳥を注文する。隣のおじさんも無言でバインダーを差し出している。声にならない声を出しているおじさんを見て僕は彼が唖者だと気づいた。
 コの字のカウンターだけのお店のお客は、多くて3人連れ、ひとり飲みの客も多い。僕もひとりなのでほとんど言葉を発していない。焼き上がりの時間を持て余してtwitterで「中延なう」のつぶやきをしたりしていた。
 適度に飲んだ帰りの電車の中、ちょっと考えた。そっか、たとえばモバイルでささやくのって発声障害のある人も全く関係なくtweetできるんだな、と。いや、現状文字ベースのネットの中では、発声に関するバリアは限りなくフリーなのだと今更に考えた。でも、逆に文字を読むことができない人にはインターネットってなかなか大変なことだろう。身近な人で視覚障害の人の携帯電話の読み上げ機能に感心したことはあるが、それはきっと最低限の機能であって、たとえば音声入力の精度はまだまだ実用にはあやしいのだろう(知ってる範囲ですけど)。
 思いついたままをたぶん配慮なく綴ってしまったが、えっと、何を思ったかと言うと、「リテラシー」とか居丈高にとなえる前に、ちゃんと認識しなければならないことは多いのではということです。政見放送の手話が何だか空々しく思えたりするし。