大西順子@ブルーノート東京、あるいは大西にまつわる個人的な物語

ZERO-tortoise2009-09-13

大西順子公式サイト
ユニバーサルジャズ・アーティストサイト


 2009年9月11日ブルーノート東京大西順子トリオのライブを聴いた。
 ライブアクトの大西順子(ピアノ)、井上陽介(ベース)、ジーン・ジャクソン(ドラムス)の三人は7月に発売された彼女の11年振りのアルバム「楽興の時」レコーディングメンバーだ。
 新譜から「BACK IN THE DAY」が演奏されしんとした場内が徐々に暖まってくる。大西がマイクを持ち、今回のライブは新譜からオリジナル曲を中心に演奏されることが告げられ、表題曲「楽興の時〜Musical Moments〜」が始まる。最初に聴いた時からそうなのだが、この曲の導入部は何故だか僕を遠い記憶へ誘う作用を持っている。

 きっと僕は大西順子のもっとも旧いファンのひとりだと思う。何しろ、高校の音楽の授業の時からなのだから。
 僕が通っていた高校では選択授業を<音楽>にすると、まず、ベートーヴェン「第九」を覚えることになる。3年間の半分は、授業内容が「第九」なのだ。声質によってパート分けがされて、担当に決まったコーラスの旋律を覚えて、次にドイツ語の歌詞を暗記していく。意味もわからず、高校生たちはドイツ語のシラーとベートーヴェンの書いた詩「歓喜の歌」を覚えていく。まだ、市民第九とかが一般的でなかった80年代の半ば、熱心な音楽教師によって学年全員で歌う「第九」が僕が通った高校の名物になっていた。音楽の授業は何クラスかの合同授業だったので、僕とはクラスは別だったがその中に大西順子がいた。あまり愛想のいいタイプの女の子ではなかった彼女はいつもぶすっとして「第九」を歌っていた印象がある。
 3年間の後半は「作曲」の授業だ(考えてみたらずいぶん大ざっぱで自由なカリキュラムだなあ)。ジャンルは問わず、曲を作って先生の指導を受けて最後にはみんなの前で発表するという授業だった。自分が3年生の最後にギターを抱えて歌ったフォークソングは思い出しても冷や汗が出るのだが、そんな素人作曲の中で大西順子のピアノだけは異彩を放っていた。レベルが違うのだ。僕は完全に聞き惚れた。授業が終わって僕は大西に訊いた。「ジャズ、すごいね」「セロニアス・モンクの真似」と彼女は無愛想に応えた。僕はその頃モンクを知らなかったから話は続かなかった。高校を卒業して僕は浪人をして、大西はボストンの音楽大学に進学したと聞いた。
 パパ=ブッシュが湾岸戦争の危機を高めていた頃、僕は大学を休学してニューヨークにいた。無為に過ごす日々の中、イーストヴィレッジのジャズクラブを夜な夜な徘徊するようになっていた。秋も深まって肌寒くなった時期だったと思う。まだ陽の高いなか、酒を飲むために小さなジャズクラブに入った。まだ演奏はしておらず、大音量でスタン・ゲッツが流れている。酔いにまかせてつらつらきょろきょろしていると、まばらな拍手が起こった。髪の長い女性がひとりで店の奥のピアノに座った。そしていきなりガツンと乱暴に鍵盤を叩いて演奏を始める。華奢な躰からは想像できないような音量。すげーなこのアジア女、と思ってじっと聞いていた。女は黙々と激しくピアノをかき鳴らす。店の酔っぱらい達も彼女の音にみな飲まれていた。おもむろに演奏が終了し、最後に彼女が自己紹介を面倒くさそうにする。「ジュンコーニシでした」僕は、え?!と驚き思わず裏に下がっていく大西を呼び止めた。
 何を話したかよく覚えていない。いろんなものに酔っぱらっていたし、偶然の出会いに緊張していたし、久し振りの日本人との会話だし・・・。僕は相当怪しい風体だったので、大西順子も何だ?この日本人と迷惑そうだったのだが、「第九」の話をして同じ高校出身者ということは信じてもらえたみたいだった。彼女も一本どっこでNYを相手にしていてピリピリしていたのだろう。でも、まあ、偶然出会った同窓生にはそれほど弾む話もなく、じゃまたという具合に別れた。アパートに戻ってから僕は大西に次の演奏予定の店を聞くのを忘れていることに気づいた。後日、そのジャズクラブで彼女のことを訊くと、その日の演奏はイレギュラーなプログラムだった。大西はアップタウンのクラブを中心に演奏していると教えてくれた。アップタウンは土地勘も知り合いもいなかった。ガイドブックに載っているジャズクラブに何軒か行ったが大西順子の演奏情報は分からなかった。
 僕が日本に戻ってしばらくすると、天才ジャズピアニスト・大西順子は注目の的となっていった。純粋に嬉しくて、僕は彼女のCDを買い、チケットが手に入るとライブに行った。彼女は日本の女性ジャズピアニストとして確実に一時代を築いたことは誰も異論がないだろう。そして、21世紀を迎える前、大西順子は僕たちの前から姿を消した。
 21世紀は少年時代思い描いたような輝く未来ではなかった。さまざまなパラダイムや価値観がほころび崩れようとしていた。9月11日にNYのふたつの塔が瓦解することで僕たちはそれを視覚的に理解させられた。
 でも僕らは生き続けなくてはならない。その理由を明確に明快に答えることは僕にはできないけど、でもきっと生き続けなくてはならない。アメリカも、大西順子も、僕も、一度負けてしまったけど、どうにか再構築して、生き続けなければならないのだ。
 2008年、パラダイムを換えるべくオバマ大統領が誕生した。同じ年、大西順子がぽつりぽつりとライブ活動を復活させている情報がネットに流れた。そして2009年の9月11日に僕は大西順子を久し振りに眼にする。彼女はきっちり流れた年月を受け入れた女性になっていた。あたりまえだけど、お互い、もう高校生ではないのだ。20代でもないのだ。
 ライブが進むと彼女の指の動きはますます激しくなっていく。上原ひろみのような派手なパフォーマンスは決してないのだが、大西のタッチはスインギーで力強い。衰えていない。アルバムでは伝わらなかった情熱のほとばしりが鍵盤に波打つ。大西順子の右手の何と饒舌なこと!! キーボードのオクターブがもしまだ高い音を用意していたとしたら彼女はそれすらも使いこなすかもしれないと思わせるパフォーマンス。
 昔のアルバムから「ポートレイト・イン・ブルー 」を演ってくれたのは嬉しかった。しめは、「ソー・ロング・エリック」。大西順子の指が鍵盤に触れる、押される、叩く、なめる・・・。彼女が最後にバンドメンバーを紹介する。「ピアノーニシ・ジュンコでした」彼女の大西の<大>を前の母音の被せるクセはそのままだった。

 大西順子は戻ってきた。大西順子は負けたままではいない女だ。再構築を標榜する僕としてはそれはかけがえのない励みだ。おかえり、同級生、お互い頑張ろうね。

楽興の時

楽興の時