岡本太郎の絵画展(2回目)

 6月の終わりにも前期を観に行ったのだが、後期で展示の入れ替えもあるというので生田緑地まで行く。というか、そっち方面の用事のついでで行ったというか。
 午後3時前に岡本太郎美術館に着くと、結構な人だかり。ロビー脇のスペースで、横尾忠則が「ライヴ」をやっていた! おー、生・横尾センセ、初めて。その場でカンバスに筆を重ねていくのだが、動きがきびきびしていて若々しい。このヒト、いくつなんだっけ? オレンジを基調とした作品に合わせて、シャツもスニーカーもミカン色。「横尾忠則公開制作10:30〜16:00(予定)」とあった。横尾先生、5時間以上描いてるの? すごい。助手に言ってカンバスの向きを変えたところで美術館の展示スペースへ歩みを進めた。
 ほとんどが3ヶ月前に観た絵なので、確認する感じで過ぎていく。場内も結構な来場者数だ。岡本太郎のポピュラリズムとアーティズムのバランスって、日本で他に実現した芸術家っていないよなあと実感しました。
 前回同様、僕は「森の掟」で引っかかった。この絵は僕を誘引する何かがあるな。6月はちょうど「1Q84」を読んでいる最中で、この絵の右端のヒトタチに「リトルピープル」を重ねて鑑賞した覚えがあるが、今回は主題である、真ん中のモンスターに目が釘付けになる。写実に描かれた背中のファスナーが印象的だ。解説文に、このファスナーを開けると案外ちゃちなモノしか内包しない怪物の本質が露呈する的な岡本のコメントが書かれていた。うむ、なるほど。おそれって、本質はそんなものかもしれない。
 井の頭線渋谷駅のコンコースに移設された「明日の神話」の原画が展示されている。それを右からなめるようにじっくり観ている女子小学生(たぶん)が目を引く。彼女はその絵が語りかける言葉をすべて受け止めようと絵物語をを読み解いているように見える。小さな躰でそこに提示される世界を無心で眺めている。そろりとした歩みが、中央の骸骨でぴたっと止まった。彼女は何を感じたのだろうか。拳をぎゅっと握りしめて、さらに「明日の神話」と戦う小学生。左端に辿りつく頃には、彼女はぐったりしていた。遠くから僕は彼女に心の中で語りかける。きみは今日の具体的な体験は忘れてしまっても、きっときみの中にしっかりとした何かが残っている筈で、それは今しか享受できない大切なものだよ。
 展示スペースを抜けてロビーに出る。横尾忠則の創作は佳境に入っていた。芸術って、理屈をこねることでなく、体感することなんだなあと、岡本太郎横尾忠則と見知らぬ小学生に教えてもらった秋の入り口だった。