映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』はどう観ればいいのだろうか?

ZERO-tortoise2009-11-03

 映画の日だった2009年11月1日(日)に『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観に行った。公開4日間(10/28〜10/31)で50万人以上の動員を記録し、2週間限定公開の予定を急遽(?)4週間に変更した“映画”。僕の周りでもネットでも、感動と絶賛の嵐。そんな中、火中の栗を拾うつもりはないが、「マイケルさん映画」(Yahooニュース見出しよりw)を僕は観ている間、どのような視点・立ち居地・マインドセッティングで鑑賞すればいいのか終始戸惑いを感じていた。
 ロンドンO2アリーナで50回開催される筈だったマイケル・ジャクソンの「ファイナル・カーテン・コール公演」のリハーサル映像を中心にまとめた映画『THIS IS IT』は、健康・体力面で不安視されていたMJがこの公演に本気で取り組もうとしていた姿がしのばれる。しかしながら21世紀に入ってからマイケルは、ポップスターとしてよりも、タブロイド紙に奇行を提供するアイコンだった印象がある。僕もテレビのドキュメンタリーで、ラスベガスでのMJのとんでもないショッピングスタイルを観て(確か、くだんの裁判のマイケル擁護の番組だったにも関わらず)あんぐりしたことを思い出す。でもそんな僕もご多分に漏れず、「スリラー」のLPは持っていたし、USA for Africaには感動したし、後楽園球場のライブのチケットが取れず悔しい思いをしたクチだ。「バッド」「デンジャラス」「ヒストリー」のCDも買った。あ「ナンバー・ワンズ」も持ってるな。まあ熱狂的ではないがそれなりのファンだった訳だ。
 もしマイケル・ジャクソンのロンドン公演が実現していたら僕はそれをどうとらまえたかを想像する。ラジオなどでノーナ・リーヴス西寺郷太さんの情報として、マイケル復活!的な話を聞き、それはよかった、ライブ映像を観る機会があったら逃さないようにしようと思っただろう。そして放送だかDVDだかでそのステージを観て、そのスケールとコスト投下の巨大さに、やっぱマイケルすげーよと楽しんだだろう。そして、今回の映画『THIS IS IT』をDVD特典映像か、BBCドキュメントの番組として観て、完璧主義のMJはこのステージにここまでコミットメントして、スタッフ・出演者のマイケルと一緒に仕事をできる歓びの熱意が結実してあのステージングはなされたのかと思っただろう。もしライブが実現していたら・・・。
 2009年6月25日(日本時間は26日)、僕はマイケル・ジャクソン逝去のニュースをツイッターで知った。リアルタイムでMJ死去の情報が真実みを帯びてきて、ツイッターにはの言葉で溢れて、世界中でマイケル・ジャクソンが愛されていることを目の当たりにした。僕自身も彼の死に驚き、悲しかった。でも、僕は継続してMJファンだったか自己懐疑すると居心地の悪い感触があった。
 1980年12月8日はどうだっただろうか?世代的に完全に後追いでビートルズを知り夢中になり、レンタルレコードで全アルバムをダビングして、ポールよりジョンの方が僕は好きだなと生意気に思っていた矢先、ジョン・レノンが殺されたニュースは本当にショックで、ガキながらに泣いた記憶がある。その思いはずっと残って、10年後僕はNYに居て、12月8日は一日中、ダコタハウスの前のストロベリーフィールズに集まったジョンを愛した世界中の人たちと時間を過ごした。ちなみに、1990年10月9日、ひと気のないストロベリーフィールズでぼーっとしていると、オノコーコさんがバラを一輪センターサークルに供えに来て、呆然とした思い出もある。10月9日はジョンの誕生日だ。僕はジョンの死後編集されたドキュメンタリー「イマジン」には感動する<資格>があると思う。
 で、『THIS IS IT』。僕はこの映画を観ている間じゅう、どういった見方をすればいいのかを考えていた。実現したであろうステージを脳内補完して観ればいいのだろうか?キング・オブ・ポップの喪失を再認するために観ればいいのだろうか?巨大なプロジェクトをひとりのカリスマと優秀なスタッフが作り上げようとした未完のドキュメンタリーとして?それとも、DVDの特典映像を劇場の大スクリーンで観ているだけ?・・・わからない、今でも。
 そもそも僕は21世紀のマイケル・ジャクソンに感動する<資格>はあるのだろうか?僕は、ワイドショーでデーブ・スペクターが提供する<マイケル・ネタ>に嗤っていなかっただろうか?呆れていなかっただろうか?もうMJから心は離れていたのではないだろうか?
 さとなおさんのブログに感化されて(加藤和彦さんの自死矢野顕子さんのステージ上での発言「生きている矢野顕子を見に来い!)、何日か前に「桑田佳祐がライブで「みんな死ぬなよー」と叫ぶわけ」というブログを書いた。僕は生きているうちにMJをちゃんと応援していただろうか?
 1000円で観られる日に、座席数の少ない渋谷で午前中に観たからかもしれないが、客層は幅広かった。途中で気になって周りを見渡したのだが、誰ひとり、曲に合わせてハミングしている人もいないし、リズムをとっている人間もいない。コンサートの映画って、ライブの疑似体験だからもっと<迷惑な人>がいてもいいのではと思う。そのくせ、上映終了後、申し訳程度にパラパラと拍手が起きて、何だか複雑な心境だった。深夜の六本木だと劇場の様相は違うのかもしれないけど。
 きっともっと素直に<世界同時多発期間限定映像体験イベント>を享受すればいいのだろう。そして真っ直ぐに故人を偲ぶべきなのかもしれない。



 ところで、劇中あった、撮影し直した「スリラー」の3D映像、どうするつもりだったのかな?偏光メガネをライブ会場で配る訳もないし。