映画『キャピタリズム/マネーは踊る』感想

ZERO-tortoise2009-12-08

 10月の終わりに試写で観た。まず感じたことは、今までのムーアの作品の中でいちばん頭を使う映画だということだ。コラージュされた短いカットをマッシュアップした映像に、ムーアの早口のナレーションがのる。インタビューは切り刻まれて、徹底的に編集・再構成される。ムーア一流の<ドキュメンタリー>は、その可否は別としてエンタテインメントとして観るものを飽きさせない。ただ、彼の展開する文脈を見失うと、ただ「カネモチ、ワルイ。ビンボウニン、イツモギゼイシャ。コンナシャカイ、マチガッテル」というような、思考停止した視点でしか観ることができなくなりそうで、僕はコンセントレートされたムーア監督が仕組む流れに振り落とされないように必死だった。頭をフル稼働させる映画なのだ。
 監督自身も言っているように、この作品は彼の集大成だ。これまでのマイケル・ムーアが提示してきた、アメリカ社会に巣食う<問題>の根源、もしくは行き着く先としての「キャピタリズム」が今回のテーマ。究極高度資本主義が結果的にもたらしたものは、1%の富裕層が底辺の95%より多い富を所有し独占的に利益を得る社会(プルトノミーと呼ぶらしい)であることをムーアは濃密な映像で語る。
「これが最後の作品のつもりで取り組んだ」(宮崎御大のような台詞だがw)ムーア決死の覚悟の作品『キャピタリズム』の主演は、いつも彼の作品がそうであるようにマイケル・ムーア自身である(今回はWブッシュはあんまし活躍しないw)。アポなし取材とシンボライズされた突飛な行動が、今作もフックとなってストーリーは展開していく。ムーア自身も自分の期待されるキャラとして演じているのだろうが、『キャピタリズム』に関してはあまり突撃取材が有効に作用していなかったような印象がある。ムーアの予定調和的有名税がどうしても観るものに漂うような気がする。
 戦後西側イデオロギーと人々の欲望はこれまで相思相愛だった。資本主義という、あるひとつの究極の愛の物語が深められ、取り返しのつかない地平まで至った時、ラブストーリーを終えるべきだとムーアは主張する。もうマネーは踊っていない。自由主義ではなく民主主義=平等主義。この彼の一貫した考え方は、ムーアが敬虔なクリスチャンであることと関係は深いのかもしれない。

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2009月12月5日(土)よりTOHOシネマズシャンテ、TOHOシネマズ梅田にて限定公開
2010月1月9日(土)より全国拡大ロードショー

原題:Capitalism: A Love Story
監督:マイケル・ムーア
製作総指揮:キャスリーン・グリン、ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン

公式サイト