1Q84読中メモ24

第24章(天吾)ここではない世界であることの意味はどこにあるのだろう

 いよいよBOOK1最後の章。
 冒頭にこの章の時点が7月半ばであると記される。ん? book1<4月-6月>と表紙にあるけど…。時制にこだわる村上春樹がこんなケアレスミスを犯すわけもなく、きっと意識的記述だろう。もう時間がいびつなかたちをとって進み始めているということだろうか。
 ふかえりはギリヤーク人のように「広い道路から離れて歩いているだけ」で、自ら身を隠していることが判明する。大事なモノは森の中にあり、リトル・ピープルは森に潜み、ふかえりは森を抜けるすべを探している。『海辺のカフカ』でカフカやナカタさんが分け入った四国の森を自然に思い出す。
 年上のガールフレンドはピロートークで天吾にささやく。
<〜「ねえ、英語のlunaticとinsaneはどう違うか知ってる?」と彼女が尋ねた。
「どちらも精神に異常をきたしているという形容詞だ。細かい違いまではわからない」
「insaneはだぶんうまれつき頭に問題があること。専門的な治療を受けるのが望ましいと考えられる。それに対してlunaticというのは月によって、つまりlunaによって一時的に正気を奪われること。十九世紀のイギリスでは、lunaticであると認められた人は何か犯罪を犯しても、その罪は一等減じられたの。その人自身の責任というよりは、月の光に惑わされたためだという理由で。信じられないことだけど、そういう法律が現実に存在したのよ。つまり月が人の精神を狂わせることは、法律の上からも認められていたわけ」〜>
 近畿地方の方言で「てんご」は、いたずら、悪ふざけという意味があったりする。
 ようやくBOOK1全24章読了。6月2日から読み始めて二十日弱、随分時間がかかった。ようやく半分というか、物語的にはまだ展開が半ばと考えるとBOOK2も楽しみ。