タイムシフトの先のマスコミの吐息

 酔っぱらって帰宅後、桑田佳祐の「音楽寅さん」の録画を観ながらちょっと考えた。放送のリアルタイムって何だろう? マスコミュニケーションのこれからの在り方ってどんなだろう?、現在、実際。 いちおー、ギョーカイの末席を汚す身としては、こんなに早く<マスコミ>の既得権に寄りかかったビジネス構造が駄目になるとは思わなかった。いや、10年前、5年前から、ヤバいな感は蔓延していましたよ。でも、自分を含めて、コンテンツや情報に対する日常の接し方が、ここまでシフトするとは正直思っていなかった。
 リアルタイムでTVを視聴するのは、特別な同時性をカタルシスとするスポーツ中継くらいかなあ。僕の生活パターンとしては、TVのニュースは朝しか観ないし、就業中、ネットで時折それを補完する感じか。
 1週間にルーティンとして、ドラマやドキュメントやバラエティなど10数本の番組を僕は録画している。平日、会社から帰ると基本的にそれを<消化>する。でも、積み残しは残る。その分は週末に<見納め>る。ルーティンにない、WOWOW等の映画は、観ることが出来ずにただHDディスクの容量を脅かしていく。
 コンテンツの課題を、業務的にも私的にも先送りしている僕が、現在、Twitterのタイムラインと、Tumblrダッシュボードには、新しいネット・コミットメント、コミュニケーションの試金石を感じる。ビジネスとしてのマス・コミの立ち位置はますます危うくなってく。
 ともすれば、媒体でのリーチ量が広告費として換算されて、商売する時代はもうだいぶ前に終わっているのかもしれない。さとなおさんの「明日の広告」では、複合的に戦略的にメディアをクロスしなければならないとしたが、それって、超大手広告代理店のメジャークライアントだから成り立つケーススタディだと思うです。100万単位のマスメディアって力を持ち続けているのは確かだけど。