リアル1984年〜出来事とか編

 僕は「84年って何か特別じゃない?」と当時からぼんやり思っていた。単に、オーウェルの小説のタイトルと同じという理由だけだったかもしれない。でも、とにかくイザという時のために(?)、当時僕はこまごま・いろいろ、日々の出来事をメモっていた。日記ではなく、あくまでメモ。そんな個人的メモをたどってみると、プライベートのトピックよりも(気恥ずかしい記憶と感情の残滓たちよ!)、社会的インシデントの方が面白い。記憶の中の時系列と結構違っていたりする。そんなメモをちょっとここで抜粋。あ、公的な年表等で検証はしていないので、中には誤った記述もあるかもしれないです。

 1983年12月、尾崎豊がレコードデビューした。同じ月の終わり、武道館のコンサートでYMOが散開した。新旧の交代ではない、80年代的ごった煮を象徴するエピソードを通過して、1984年は幕を開けた。

 1月には、週刊文春「疑惑の銃弾」キャンペーン開始。といっても、まだ文春を読む歳じゃなかったから、三浦さんが変な具合にTVに出始めて、後追いで記事を知ったのだけど。いわゆる「劇場型犯罪」の申し子と言われる三浦和義氏だけど、20年後にあんな結末を迎えるとはこの頃想像だにしなかった。
 同じ、マスコミを巻き込んだ犯罪としては、「グリコ・森永事件」もこの年だった。キツネ目の男・かい人21面、きっと<かい>なのは、当時のワープロの漢字変換の脆弱さが関係しているのかな。
 84年の夏は、ロサンジェルス・オリンピック一色だった。開会式の空飛ぶアストロノーツにSFを感じた。そしてカール・ルイスのオリンピックだった。
 同じ夏、阪急ブレーブス福本豊が1000盗塁を達成した。外人初の三冠王をブーマー(ボキャブラの方ではない)が獲得したのもこのシーズン。いや、阪急ファンだったもので。
 この夏は、村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編」が発売された。短編「蛍」は後の「ノルウェイの森」に発展していく。安西水丸がデザインした春樹さんの著作では、この本がいちばん好きだ。水丸さんの電話のメモがそのまま題字に使われた。
 9月には、大友克洋の「アキラ」第1巻が、日本の漫画としては想定外の装丁で発売された。浅田彰の「逃走論」も買った。「パラノ・スキゾ」よく解らなかったけど、わくわくした。ニューアカ中沢新一とか好きだったなあ。
 10月に有楽町マリオンが開店、11月に新札が発行されて、聖徳太子とさよならした。見知らぬ新しいお札は、最初の頃はどうしても「お金」に思えなかった。
 いつも流れていた音楽は、マイケルジャクソン「スリラー」、マドンナ「ライクアバージン」、ガゼボ「アイライクショパン」。そして僕的には、大滝詠一「EACH TIME」とサザン「人気者で行こう」。ウォークマンでダビングしたテープがのびるまで聴いていた。
 ちょっとかじっただけの作家だったトルーマン・カポーティフランソワ・トリュフォーの訃報も1984年だった。植村直己がマッキンリーに消えたのも確か84年。
 こうして84年はエリマキトカゲのように駆け抜けた。
 そして1985年。3月、ソ連ではゴルバチョフ書記長就任し、4月「夕焼けニャンニャン」が放送開始、TVにはセブンイレブン「けいこさんのいなり寿司」が流れていた。まだ、徒歩範囲にコンビにがなかったような気がする。セブンイレブンの営業時間も、その名の通りで24時間ではなかった。それでも、時代が少しずつ変化している実感はあった。