映画『ココ・アヴァン・シャネル』感想

 オドレイ・トトゥ主演の「ココ・アヴァン・シャネル」を試写で観た。あ、公開明日か。僕が観たのは結構前なのでメモと記憶をかき集めて感想を書きます。

 伝説のファッション・デザイナー、ココ・シャネルの若き日を描いた伝記ストーリー。シャネルは、孤児院で育ち、キャバレーの歌手でチップを稼ぎ(持ち歌から「ココ」というあだ名がついた)、針子をして日銭をつなぐ日々をおくる。19世紀末、フランスの下層階級の娘は一生下働きで通すか、玉の輿に乗って人生を乗り換えるかどちらかしか生きる道がなかった。シャネルは男に媚びることは否定しつつも、キャバレーで懇意にしてくれた将校・バルサンの屋敷に押しかけ愛人となる。
 バルサン邸でシャネルは退屈で退廃的な暮らしに身をやつす。そこで彼女は上流階級というものを知り、女性を束縛するファッションや慣習が奇異に思えてしかたがない。そしてシャネルは独自のファッションセンスを発露し始める。また、同時に下女もしくは愛人以外の、その時代にはなかった働く女性の生き方を模索する。ココは時代への異議申し立てをファッションというかたちで提示したのかもしれない。そしてパリのカンボン通りで帽子専門店を開業する。<シャネル>ブランドの始まりだ。

 アンヌ・フォンテーヌは女性監督ならではの視点でシャネルの自立するまでの半生を描く。ココを演じたオドレイ・トトゥを多くの人は「アメリ」の女の子として記憶しているだろう。トトゥが演じるシャネルは無表情にじっと見つめる眼差しが印象的だ。決意をうかがわせる強い意志の無表情。孤児院から二人で育った姉にだけ見せる笑顔と安心した表情。将校の屋敷に住むようになってからの表情の消えた姿は殊更あらゆるものと戦っているように映る。帽子店を開店して、生涯唯一愛した男・ボーイとの日々でのココの豊かな表情は、それまでとのコントラストが際だつ。愛する歓びに満ちている。
 シャネルのものを見る眼差しは既成概念にとらわれない本質を見ようとしていたのかもしれない。考えてみれば「アメリ」のトトゥもじっと<もの>を見ていた。オドレイ・トトゥという女優は<眼差し>で語ることのできる役者なのだろう。ココ演じるトトゥの凛とした佇まいが心に残る映画だった。

 ちなみにシャネル創業100周年を迎えた2009年、シャネル伝記映画が3本製作された。本作と、日本では一足先に公開された、シャーリー・マクレーン扮する年老いたココが生涯を回想する「ココ・シャネル」(こっちはアヴァンがつかない)。そしてもう1本はなんと「エクソシスト」のウィリアム・フリードキン監督(!)作品「シャネル&ストラヴィンスキー」だという(日本では2010年新春第2弾として公開予定)。
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田舎のナイトクラブからパリへ、そして世界へーー
コネクションも財産も教育もない
孤児院育ちの少女が、
世界のシャネルになるまでの物語。

2009年9月18日(金)より全国ロードショー
ココ・アヴァン・シャネル
原題:Coco avant Chanel
監督:アンヌ・フォンテーヌ
脚本:アンヌ・フォンテーヌ、カミーユ・フォンティー
撮影:クリストフ・ボーカルヌ
美術:オリビエ・ラド
編集:リュック・バルニエ
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:オドレイ・トトゥ、ブノワ・ポールヴールド
2009年フランス映画

「ココ・アヴァン・シャネル」公式サイト