映画『南極料理人』感想

 昨日、渋谷で時間をつぶさなければならない事情があり、じゃ映画でもと検索してフィットする開映時間と内容で、公開後1か月を過ぎてはいるが堺雅人主演「南極料理人」を観ることにした(『ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション』とどちらにするか結構悩んだが)。
 昭和基地からも隔絶された南極ドームふじ基地の8人の男の調理担当の目を通じて描かれる南極の日々をユーモラスに描く。
 一貫したトーンでのユーモアにこだわった作品だとまず思った。男版「かもめ食堂」との評も出ているが、荻上直子監督と沖田修一監督の目指した方向性はまったく別だと僕は感じた。一種、宗教的である荻上作品(「バーバー吉野」は別ね)と較べて、「南極料理人」は意識して‘踏み込まない’映画になっている。
 離れて絆を再認する家族愛とか、紆余曲折の先に生まれる仲間の連帯意識の素晴らしさとか、ほろりと<泣ける映画>に持ってゆく要素は多々あったが、沖田監督はそこには踏み込まない。
 時間的・空間的に隔離された限定されたコミュニティの中で生じてしまう疑心暗鬼や狂気の方へ作品のテンションを張ることもきっと可能だったが、やはりそこにも踏み込まない。
 ただ食事を作り、食事を食べ、それぞれの仕事を淡々と遂行する1年間。隊員は堺の食事にがっつくのだが、おいしいとかうまいという感想はあまり口にしない。それはきっと彼らが家族だからだ。基地での何気ない最後の食事風景で、堺は割烹着を着て<お母さん>になっていた。みなのやりとりが日本中で繰り返される食事の風景だった。そして任務を終えてそれぞれの(本当の)家族の元へ皆戻っていく。普通に、特に印象的な台詞もなく。エピローグでもベタベタした変に前向きな挿話もなくさらっと映画を結ぶ。いい映画だ。
 全然関係ないが、小堺一機の父親が越冬隊員の料理人だったとどこかで聞いたなあ。
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南極料理人
監督・脚本:沖田修一
原作:西村淳
フードスタイリスト:飯島奈美、榑谷孝子
出演:堺雅人生瀬勝久、きたろう、高良健吾西田尚美古舘寛治黒田大輔、小浜正寛、小出早織宇梶剛士嶋田久作豊原功補

「南極料理人」公式サイト