映画『沈まぬ太陽』観たけどさ・・・

ZERO-tortoise2009-11-16

 以前チケットをもらったままになってて、週明けその人(角○映画の関係者)と会う予定が入っていたので、金曜の夜ひとりで観てきましたよ『沈まぬ太陽』。仕事で近くに行っていたので平和島シネサンシャインで19:00から観たのだが、広いシアターに観客8人。このシネコン自体閑散としていたが(隣の『THIS IS IT』もそんなに入ってなかった様子)、雨のそぼ降る金曜の夜に平和島で映画を観ようと志向する人間はそれほどいないようだった。
 さて『沈まぬ太陽』、202分インターミッション付きの日本映画久しぶりの超大作。原作は昨今再ブームの感がある山崎豊子、主演は国際俳優・渡辺謙、その他日本を代表する豪華俳優陣が名を連ねる。それこそ、死体以外みんな知ってる俳優だぜという勢いw それ相応の製作費(20億、P&A入れて25億円とも言われる)でつくられたらしいが、俳優のギャラでその大半が消えたの?と思わせるくらい、肝心のヒコーキのCGがチャチくてまず興ざめした。ジャンボ機がキューンと軽やかに旋回して飛び立っちゃうし、機体に貼られたポリゴンはPS2時代並みだし。小説ではなく映画なのだから、この大作を象徴する画として「ジャンボ機」の姿は重要だと思うけどなあ。ラストの「沈まぬ太陽」を膨大なロケ費をかけて撮影するなら(あれも映画として必要不可欠な画だとは思うけど)、ヒコーキももうちょっと何とかしてほしかった、航空会社の企業ドラマなのだから。
 原作者の意向でストーリーを簡略化することが許されなかったとか、大JALを向こうに回す題材だとか(山崎の原作が連載中、JALは「週刊新潮」を機内に置かなかったという逸話もある)、製作者サイドからは苦労話は絶えないのだろうが(僕も直接何人からか聞いた)、単純に作品だけを考えてみると、この映画、結局何を伝えたかったのだろうか?と思う。大企業の理不尽さ?システムが優先されることによるクリティカルパスの埋没?「政治」の狡猾さ?戦後モーレツ社員の実像?
 渡辺謙=恩地はなぜ様々な犠牲を払って初志を貫徹させようとしたのか?、山崎の小説ではきっと理解できたのだろうが、映像世界で表現されるとどうしても僕は彼にシンパシーを発することが最後までできなかった。東大卒のエリートサラリーマンがこんだけ苦労したのはやっぱ間違ってるでしょ?ということなのだろうか?うーむ。
 組合・海外タライ回し編の次なるパートは、墜落惨事処理係編だ。あの当時、御巣鷹山墜落事故には僕もショックを受けたが、このエピソードに恩地を絡めると、事故原因が安易に会社側の過重労働による人為的ミスって印象になるでしょ、実際。これはいかがなものかなあと。そしてインターミッション後は、恩地・会長室で頑張る編な訳だが、ここでも結局、恩地は救われないし、何かを成し遂げた訳でもないし。終世のライバル・三浦友和は悪役に徹して恩地の逆を行き、サラリーマンとして上り詰めるのだが、こちらの最後にもカタルシスは訪れない。構造としては「白い巨塔」のふたりと同じような展開なのだが、ある思いを持って財前は死ぬ。「沈まぬ太陽」の三浦はそうではない。この点も不完全燃焼感は否めなかった。
 日本航空再建問題の昨今、この映画はタイムリーではあるが(因果応報をリアルで僕らは眺めているのかもしれない)、それにしても、このストーリーは映画としては余分な展開が多すぎ、いかんせん長すぎ。長くても2.5時間のお話にはできると思う。もしちゃんとやるなら、連続ドラマだと思うけどなあ。一民間企業を判りやすくネガティブモデルにしているので、民放だと難しいだろうが。
えー、勝手な言いぐさ諸々失礼しました。