映画『カールじいさんの空飛ぶ家』感想

ZERO-tortoise2009-12-04

 今年試写で観た映画の中で、観ている最中に劇場でもう一度観ようと思わせた作品が3つある。クリント・イーストウッド監督『グラン・トリノ』と細田守監督『サマーウォーズ』、そして『カールじいさんの空飛ぶ家』だ。
 ピクサーは前作『ウォーリー』でCGアニメで表現できる最高到達点に及んだと感動したが、長編第10作目の本作でひょいとそれを超えてしまった。正直、ピクサーの紡ぐアニメにはある種の<畏れ>すら感じる。
 監督は『モンスターズ・インク』で監督デビューし、『ウォーリー』ではオリジナル・ストーリーを担当したピート・ドクター。共同監督として『ファインディング・ニモ』の脚本家ボブ・ピーターソンがあたった。面白くならない筈ないじゃんという布陣!!

 まずは冒頭10分に圧倒される。CGゆえにピクサーが真正面からは取り組んでいなかったと言える唯一の領域<人間ドラマ>が存分に描かれる。必要最低限に絞られた少ない台詞と完璧な劇伴と物語の運び方に、誰もが胸を震わさずにはいられない。通常リアクションが薄めのマスコミ試写で、すすり泣く音がいくつもしていた。僕もうるうるきていたが。
カールじいさんの空飛ぶ家』が豊潤な物語を語ることに成功したひとつの要因に、キャラクターの完璧な表情表現があると思う。特に目の<演技>がスゴい。CGの黎明期から主役に据えるキャラクターを、ライトスタンド→一輪車→スノードーム→おもちゃ→虫→モンスター→魚と経て、表情がある程度固定しても作れる物語からひとつひとつ発展してきたピクサー・アニメ。技術と表現の研究を重ねて作品ごとに進化してきた<ピクサー・メソッド>は、ヒーロー→車→ネズミ→ロボットと本来表情のないモノでも、いかにして喜怒哀楽を表現するかに挑んできた。そして集大成としての、おじいさんw 完璧な顔の<演技>をするおじいさんと、目の様子がコロコロ変わるちびっ子に、僕たちは魅了されないわけにいかないのだ。
ピクサー・メソッド>が進化してきたのは、もちろんキャラクターの表情表現だけではない。縦横無尽のスピード感溢れる冒険ロマンもピクサーの得意とするところだろう。『カールじいさんの空飛ぶ家』は感動ドラマにはとどまらない。「インディ・ジョーンズ」的に、そして「天空の城・ラピュタ」的に冒険活劇が展開される! そして冒頭10分のドラマも後半見事にエピソードとして拡がり、そして回収されていくのだ。本当にもう名人芸の域。

 劇場では3D字幕版で観ようかな。それにしても、ピクサー、来年の『トイ・ストーリー3』はどんなことになっちゃうんだろう? 楽しみでこわいw

※12月18日追記
 本日、TOHOシネマズ日劇で3D字幕版を観て来た。試写のスクリーンより大きな3Dで観ると、細かなCGの描写が観ることができて更に感動。本当に素晴らしすぎる。tweetもしたが、劇伴が本当に素晴らしい。メインテーマの旋律が冒頭の感動シークエンスで刷り込まれ、エリーバッチで、クロス・オン・ハートの仕草で、フックとなるアイテムで音楽が展開されいちいち涙を誘われる。それにしても、無駄なガジェットが一切出てこないで、すべて意味のある小道具になっているのは、スゴい。あれだけリアリティラインの低い話に感動し楽しめるひとつのこだわりとして、カールじいさんの亡くなった妻・エリーの回想シーンの挿入は一切なく(振り返るのはいつもアルバムの写真)、またじいさんのエリーへの語りかけに、空想として返事もしない。というか、少女時代以外、エリーの声って(多分)あててないことに今気づいた。すげーすげーすげー。
3Dでの字幕もレイヤーが一定なので思ったより快適に追うことができた。何より3Dも画面の奥行きやスピード感が必要なシーンとそれ以外のシーンとで使い分けているのではないか(時々メガネを外して確認した)。明度の高い映像も相まって眼の疲労度は少なかったような気がする。
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2009年12月5日(土)より全国ロードショー

カールじいさんの空飛ぶ家
原題:Up
監督:ピート・ドクター
共同監督:ボブ・ピーターソン
製作:ジョナス・リベラ
製作総指揮:ジョン・ラセターアンドリュー・スタントン
原案:ピート・ドクター、ボブ・ピーターソン、トム・マッカーシー
脚本:ボブ・ピーターソン、ピート・ドクター
美術:リッキー・ニエルバ
音楽:マイケル・ジアッキノ


公式サイト

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