映画『(500)日のサマー』内容にはほとんど触れない感情的感想

ZERO-tortoise2010-01-11

 ここ半年くらい、劇場や試写で映画を観たら、結構リアルタイムで感想を140字にまとめてTwitterするのが習性になっている。ネタバレを避けて、感想をダーと書いて、それを140字以内にそぎ落とす過程を楽しんでいたりする。レスがあったりすると嬉しいしw
 で、このブログに映画の感想を書くときは、観てから一定期間置いて、何となく落ち着いたら(感動や憤懣ね)書くようにしていたのだが、この映画は今日観てきたのだが、「サマー」に関しては、何だかすぐにブログを書きたくなったので。
TOHOシネマズシャンテに末尾が4の年賀状を持っていったので1000円で観ることができた。開映1時間以上前なのに残席わずかだった。「運命の恋なんて、あるに決まってる。」「恋と友情、過去と今を行き交う、ビター&スウィートなラブストーリー」という宣伝コピーとビジュアルに誘われた若いカップルの姿が目立つ。あと見た目が決して「サマー」的ではない、ひとりで来ている女性も結構いるようだ。で、僕は断言する。これはそんな映画ではない! アメリカ興行時のコピー「THIS IS NOT A LOVE STORY.IT IS A STORY ABOUT LOVE.」の方が核心をついていると思う。だってフォックス本体じゃなくてサーチライト配給の映画だから、王道のラブストーリーを描く筈ないじゃないw(かなり偏見か)。
 終映後、カップルの女の子が「面白かったねー」と会話を交わしていたが、男の子は複雑な表情でうなづいていたのが印象的だった。彼女がもしかして彼の現役の「サマー」かもしれない。(元)男の子の僕は、身につまされて、切なくて、触れて欲しくない昔の感情を想起させられて、いろいろない混ぜにされちゃったよ。
「サマー」という女の子は、思春期を終えて、やっとまともに女の子と話すことができるようになった、男の子が一目惚れするシンボルだ。初めて挑む砦だ。その名が示すように、夏の日射にめまいするように落ちた恋の象徴だ。そしてたちの悪い熱病に侵された患者のように、彼女の一挙手一投足に惑い喜び、謎めいた言葉の意味の解釈に振舞わされる。それは「夏」の始まりも盛夏も秋口も同じだ。男の子は「サマー」に立ち向かう術はもともと持ち合わせていないのだから。
 この映画が僕らの胸に刺さってくるのは、500日という彼女との思い出の時系列をバラして、再構成して見せたことだ。僕らの頭の中の記憶はトピックとして大分類の引き出しの中に放り込まれていて、時系列には並べられていない。現実の思い出はいつも唐突でバラバラ。だから、「(500)日のサマー」は僕らにとってリアル過ぎる感情を引っ張り上げてくる。もうひとつ。この映画の中でサマーは一度も嘘をついていない。彼女は始めから正直に自分の価値観をトムに晒して、自分の思いを適宜ちゃんと伝えているのだ。男の子は熱病中だから、混乱して訳が分からなくなっているのに、わかった振りをして、Good FItだった瞬間を頼みのつなとして脳内再生するしか術がない。「インディアン・サマー」とも呼べる、後半のエピソードも、おいおいここまでエグる?という感じで、個人的にとても痛かったw
 そして夏が終わり、次の季節をヤロー共はみんな迎えるものだと信じたい(いろいろこじらせなければね)。現実では、10年後の「サマー2」とかあったりするんだよな〜w

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2010年1月9日(土)から全国ロードショー

原題:(500) Days of Summer
監督:マーク・ウェブ
脚本:スコット・ノイスタッターマイケル・H・ウェバー
音楽:マイケル・ダナロブ・シモンセン

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