1Q84読中メモ BOOK1(青豆)

第1章(青豆)見かけにだまされないように
 ちょっとしたことで世の中の位相は変わるかもしれないが、それに惑わされてはいけないと、カーステの充実した個人タクシーの運転手の青豆へのアドバイス
 プロフィールがぼやけたところから会話の中で徐々にキャラクター像が見えてくる文章のフォーカスは見事。
 1984年のBGMはやはり「ビリー・ジーン」の年だったと記憶がよみがえる。マイケル・ジャクソンムーンウォークしていた。

「〜なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくる〜」

 村上小説の会話の言葉遣いで<ちっとばかし>は今までなかったのでは。重要な語りの部分なので、文章の流れにテンションを加えたのか。

<追記>
このメモが書かれた2009年6月2日時点では、M・ジャクソンは亡くなっていなかった。


第3章(青豆)変更されたいくつかの事実
 リアリティを切り取るとそこには避けようのない性と死のイメージが伴う。青豆は『シンフォニエッタ』の旋律を底奏に忍ばせて行動してゆく。

〜部屋のドアをノックする。軽く簡潔にノックする。しばらく待つ。それからもう一度ノックする。ほんの少しだけより強く、より硬く。〜

文章の運びに心地よいテンポが出てきた。
 青豆がすれ違った風変わりな警官、制服がいくぶんカジュアルで拳銃が大型オートマチックであることを彼女は奇妙に思う。ハルキさんは知らないだろうけど、その描写を読んで多くの日本人は「こち亀」の中川を思い出すだろう、どうでもいいことだけどさ。


第5章(青豆)専門的な技能と訓練が必要とされる職業
 ホテルのバーで青豆はオトコを値踏みする。

〜それから男はふと思いついたように、カティサークはあるだろうかと尋ねた。ある、とバーテンダーは言った。悪くない、と青豆は思う。選ぶのがシーバス・リーガルや凝ったシングル・モルトでないところに好感が持てる。〜

 村上春樹的世界において意味を持つウィスキーはカティサークといつも決まっているのだ。もっとも84年当時、高級ホテルのバーでもまだ、モルトのラインナップは貧弱だった筈だが。景山民夫が、スコットランド湖水地方を訪れた時のことをエッセイにしていたが、今は日本でもお馴染みになった「グレン・モーレンジ」を<ネス湖の生一本>と称したのもその頃だ。

〜青豆はろくでもないヨットの話なんて聞きたくもなかった。ボールベアリングの歴史とか、ウクライナの鉱物資源の分布状況とか、そんな話をしていた方がまだましだ。〜

ねじまき鳥クロニクル』の中で笠原メイがイメージする「ぐにゃぐにゃしている死のかたまり」の芯には、硬い固いボールベアリングのようなモノがあったことを思い出す。
 青豆がきっと転換機をかたんと倒したパラレルワールド1Q84年では、米ソが協力して月面基地を建設中だ。


第7章(青豆)蝶を起こさないようにとても静かに
 物語はハードボイルドテイストを増し、青豆の仕事のクライアントである謎の老婦人と、巨漢のボディガードが登場する。青豆と老婦人に交わされる会話から、第3章での青豆の仕事の「発注理由」が明らかにされ、僕は一瞬、??となった。
 僕らは今コンテンツの洪水にさらされ、三文映画やTVドラマ・ゲームで、安易なミステリーやアクションに慣らされ過ぎなのかもしれない。でも、その点を差し引いても、青豆の仕事の展開を軸にこのままストーリーを進めるのは少々刺激に欠けてしまうかも。やはり、パラレルワールドのラインを中心にいくのかな。

〜「ああ、よくある話だよ。あるとき泉のほとりでハープを弾いていたら、どこからともなく妖精が現れて、ベレッタのモデル92を俺に渡して、ためしにあそこにいる白いウサギさんを撃ってみたらって言ったんだ」〜 

 ボディガードの台詞。ハードボイルドだよな、村上流の。


第9章(青豆)風景が変わり、ルールが変わった
 青豆は出来事の「ズレ」を検証するため、近くの図書館に行き、新聞の縮刷版でここ2年の事件を調べる。世の中のコンテンツが電子化され検索可能になる前、確かに我々は何年か前のことを調べるのに縮刷版をいちいち繰っていたのだ。村上作品で、自転車で図書館に新聞を調べに行き、結局図書館に入らずに、鳥小屋の脇で煙草を吸って帰ってくるシーンがあったと思うのだが、どの小説の情景なのかどうしても思い出せない。
 この読中メモに書いていた、転換機を倒す青豆、パラレル・ワールドとしての1Q84、低奏曲としての「シンフォニエッタ」等々を、説明するこの章に我ながら驚く。僕の思考の流れも、すっかりハルキさんに無意識下で感化されていることを今更痛感した。

〜かつての世界と区別をつけるためにも、そこには独自の呼称が必要とされている。猫や犬にだって名前は必要だ。この変更を受けた新しい世界がそれを必要としていないわけはない。1Q84−−私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう、青豆はそう決めた。〜

 山梨の過激派グループ「あけぼの」が、(天吾)の章のふかえりのコミューンと、蝶番としてふたつの物語を結びつけていくのだろうか。


第11章(青豆)肉体こそが人間にとっての神殿である
 青豆の現職への出自とクライアントとのなれそめが語られる。意識的にふたつの物語の小道具が重なり合っていく。マクガフィンはあるのか。

〜「じゃあ逆の言い方をすれば、じきに世界が終わるというのは、睾丸を思い切り蹴られたときのようなものなのかしら」と青豆は尋ねた。
「世界の終わりを体験したことはまだないから、正確なことは言えないけど、あるいはそうかもしれない」と相手の男は言って、漠然とした目つきで宙を睨んだ。「そこにはただ深い無力感しかないんだ。暗くて切なくて、救いがない」〜

 少年時代、野球のキャッチャーをしていて、何度かショートバウンドのボールが股間に当たった経験を僕は持つ。あの痛みは確かに「世界の終わり」だ。『中国行きのスロウ・ボート』の中の少年は、センターフライを追いかけボールポストに激突し、脳しんとうを起こす。もうろうとした意識の中で彼のつぶやいた言葉、「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」。
(メモ9でどうしても思い出せないと書いた図書館のシーンだが、この短編の中で、最初に中国人と出会った正確な日付を調べに行く場面だったと、ついでに思い出した)
ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』といった作品では、その通底に圧倒的な無慈悲で無意味な<暴力>が示されていた。今回、村上は暴力の理由と源泉を、十全に顕して物語に取り込もうとしているのだろうか。
 青豆は六本木のシングルバーでまた男あさりを続けている。


第13章(青豆)生まれながらの被害者
 ほぼ1日1章のペースで『1Q84』を読み、僕は都度都度このメモをしてきた。発売2週間を迎えて100万部を超えたこの小説のレビューは、さすがにネットや新聞のそこかしこで記されている(ようだ)。「Google急上昇ワード」にも「1Q84 あらすじ」というワードが挙がっていて焦る。僕は注意深くそれを読まないように通り過ぎて、ハルキさんが語りかける物語だけに純粋に耳を澄ましている。このメモもできるだけネタバレを避けているつもりだ。
 閑話休題。(青豆)の章は、やはり主軸を性と死・暴力に、真正面から対峙して展開していくのか。青豆の奔放な性の起因には死があり、青豆がもたらす死の理由には暴力がある。ん、逆も言えるかな? セックス・死・パワーは三すくみの環を描く。

〜「あなたは自分を損なうようなことは何もしていない」と老婦人は言った。「何ひとつ。それはわかっていますね?」
「わかっています」と青豆は言った。そのとおりだと青豆は思う。自分を損なうようなことは何もしていない。それでも何かは静かにあとに残るのだ。ワインの瓶の底の澱のように。〜

 ストーリーテラーとしての村上春樹は僕たちのやすい想像の上を行ってくれるのが嬉しい。300ページにして、青豆と天吾の物語が重なり合う、思いがけないかたちで。


第15章(青豆)気球に碇をつけるみたいにしっかりと
 青豆の日常と、現状に至るいきさつが綴られる章。
 青豆はシングルバーで出会った婦人警官・あゆみと食事に行き、親交を深める。

〜「それで、何にするの?」
ムール貝のスープに、三種類のネギのサラダ、それから岩手産仔牛ののう脳味噌のボルドーワイン煮込み。青豆さんは?」
「レンズ豆のスープ、春の温野菜の盛り合わせ、それからアンコウの紙包み焼き、ポレンタ添え。赤ワインにはちょっと合わないみたいだけど、まあサービスだから文句は言えない」
「少しずつ交換していい?」
「もちろん」と青豆は言った。「それからもしよかったら、オードブルにさいまき海老のフリットをとって二人で分けましょう」〜

 ハルキさんの食事のシーンは、相変わらず食欲を刺激する。


第17章(青豆)私たちが幸福になろうが不幸になろうが
 この章を読んでふと最初のページを見ると、ジャズ・スタンダードの「ペーパームーン」の歌詞が書いてある。「君が信じてくれたなら、紙の月さえ本物になる」というロマチックな唄だ。『1Q84』は「月」もキーワードのひとつですね。
 ずっとカバーを外して読んでいたので気づかなかったが、本の表紙の右下にもうっすら<月>がデザインされているし。そっか、これが挿画のコピーライツ表記のある、NASA/Roger Ressmeyer/Corbisの写真からおこしたものな訳ね。『ねじまき鳥クロニクル』の装丁にも、バリ島・ウブドの美術館から鳥の画がデザインされてたし、新潮社装幀室はなかなかいつも凝っているなあ(ハルキさんが陰の装丁者と噂されているけど)。
 青豆はクライアントである老婦人の屋敷に呼ばれ、新規の<仕事>を依頼される。彼女たちの言葉を選んだ会話の中に緊張感が醸し出され、物語は次のフェーズへと進んでいく。

〜老婦人の顔が特殊な赤銅色の輝きを帯びていくのを青豆は目にした。それに連れていつもの温厚で上品な印象は薄れ、どこかに消えていった。そこには単なる怒りや嫌悪感を超えた何かがうかがえた。それはおそらく精神のいちばん深いところにある、硬く小さく、そして名前を持たない核のようなものだ。〜

 老婦人も心の底に冷たい小さなもうひとつの「月」を潜ませているのかもしれない。


第19章(青豆)秘密を分かち合う女たち
 青豆の生きる死と性・暴力に満ちた1Q84世界に、めじるしのない悪夢のように、カルト教団の影がしのび寄る。様々な「歪み」を内包する現実を見つめながら、青豆と老婦人はカルト集団と向き合い、「むずかしい仕事」に臨んでいく。

〜彼女は自分が今、本来の1984年でははく、いくつかの変更を加えられた1Q84年という世界を生きているらしいことを自覚していた。まだ仮説に過ぎないが、それは日ごとに着々とリアリティーを増している。そして知らされていない情報が、その新しい世界にはまだたくさんありそうだった。〜

 それぞれの思いを胸に皆が寝静まる真夜中、リトル・ピープルたちがうごめき始める。


第21章(青豆)どれほど遠いところに行こうと試みても
 青豆はまた図書館を訪れ、新聞の縮刷版で山梨のカルト教団につて調べる。そこに語られる宗教団体の姿に、誰もがオウム真理教を想起するだろう。村上春樹が世の中への彼なりの「コミットメント」をあらわしたノンフィクション『アンダーグランド』と『約束された場所で』を再読してみようかなとちょっと思う。それぞれ発売されたとき読んで本棚に収まったままだし。
 青豆は部屋に戻り、ひとりふと自分の手を見ながら「存在」を思う。

〜爪を見ていると、自分という存在がほんの束の間の、危ういものでしかないという思いが強くなった。爪のかたちひとつとっても、自分で決めたものではない。誰かが勝手に決めて、私はそれを黙って受領したに過ぎない。好むと好まざるとにかかわらず。いったいどれが私の爪のかたちをこんな風にしようと決めたのだろう。〜


第23章(青豆)これは何かの始まりに過ぎない
 奔放な性を享受しているある種の女性は、原体験として、男性に対する恐怖感が植え付けられていることがある。その反動として不特定の男との性に身を埋め、自分の根をぼやかそうとする。
 青豆のシングルバーでのパートナー・あゆみは語る。

〜「やったほうは適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられない。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」〜

 いっぽう、老婦人の屋敷には「始まり」を示す不気味なサインがされる、残酷なかたちで。