桑田佳祐がライブで「みんな死ぬなよー」と叫ぶわけ

 稀代のミュージシャン・加藤和彦さんが2009年10月16日自死をした。遺書には「『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい」という旨が記されていたという。うつ病の典型的な思考だ。自分が消えることが、周りの自分を支えてくれる人や愛している人がいちばん救われる最良の手段だと考えが集約されてしまう。痛いほどわかる。
 僕が長年ファンであるブロガー・さとなおさんが今日のブログ「もっとちゃんと伝えよう。」で、加藤さんの自殺からムーブメントを作ったアーティスト(たとえばユーミン)に関して綴られている。Twitterのリンクで通勤電車の中でこのコラムを読み胸にくるものがあった。
 帰宅してあれこれ家の雑務をしながら10月10日にWOWOWで録画した松任谷由実のライブを流していた。30分ほど経った時、モニタで加藤和彦がスタイリッシュな姿でユーミンとデュエットしていた。今年ユーミンが発売したアルバムの中に彼とのコラボソングがあってそれのステージングらしい。
 思わず、絶句。さとなおさんのブログを再読する。僕はいつからユーミンのコンサートに行っていないだろう。記憶を辿ると代々木体育館で彼女が龍の背中に乗ってた頃から行ってないw。20世紀。何か、サーカスと合体とかミュージシャンのライブとしては興ざめしていたところもあったと思う。CDもベスト盤を除くと「LOVE WARS」から購入してないかも。レンタルはしていたけど…。シングルに至ってはまだドーナツ盤だった「守ってあげたい」から買ってない。結構、自分を男にしてはユーミンファンと思ってたけどこの程度だった訳だ。
 さとなおさんは加藤さんの件で桑田佳祐さんにも触れている。それがユーミンや桑田さんだったらどう僕らは感じたのだろうかと。
 桑田さんやサザンに関しては30年、僕は熱心なファンで、いそいそとLP・CDを買い、ライブにも行かせてもらっている。現役。そして幸運なことにわりと近くで仕事をさせてもらっている時期もあった。
 20世紀末、サザンオールスターズはある意味結構どん底だった。コンサートをすれば固定客はいたので動員は確実だったし、アルバムを発表すればちゃんと売れた。でもシングルのセールスは芳しくなかった。まあ、サザンというバンド自体、もともとそうだったのだが。いろいろ悩みながらも桑田さんは年末ライブを開催し、中継し、アルバムを作り、実は本意ではない道化に徹するプロモーションをしなければならない時期が続いた。
 ファンの間で伝説となっているサザンの「歌舞伎町ライブ」が演られたのはそんな時だった。そこで桑田さんは「もう変化球はいいから、そろそろド真ん中にストレートを投げてきて!」というファンの気持ちを体感したという。そして発表されたシングルが「TSUNAMI」だった。
 21世紀になってサザンと桑田佳祐は大らかなフェーズに入ったと思う。「いとしのエリー」をライブで封印するとか、「希望の轍」は出自がオリジナル・サザンではないから歌わないとか、桑田さんは「こだわり」からするっと抜けてくれた。それはきっと、目黒の地下の自宅スタジオの中で、大磯のマンションのベランダで、桑田佳祐が自分と、ファンと、これからと、じっくり向かい合ってたどり着いた場所なのかもしれない。桑田さんのある意味悟りに近い境地は、たぶん誰も経験したことのない処なのではないだろうか。そして、くぐり抜けた桑田佳祐は言う。決まってライブの最後にメッセージとして叫ぶ。『みんなー、死ぬなよー!!』会場のパワーを一心に集めた男の心からの言葉は何よりも強く我々の躰に響く。そう、死んではいけない。
 時代を築いたアーティストは<産業>となってしまった自分をまず懐疑する。そしてライブツアー全体の動員よりもその場の観客の歓声を一番信じる。レンタルで確保されているアルバムCDの売上げよりも時代を反映するシングルの動向にファンの気持ちをくみ取るという。
 僕らは愛してきたアーティスト(音楽に限らず)をもっと直接的にわかりやすい形で応援しなければならないと本当に思う。体温と数字を連綿と、ちゃんと伝えなきゃならないんだなと本当に思う。マスの意志がぼやけてしまう時代だし、逆にボーダレスなネットコミュニケーションが確立した今だからこそ、さとなおさんが言うように<ちゃんと>表明しなきゃと僕も痛感する。