大西順子のライブに村上春樹と小澤征爾がいる空間

ZERO-tortoise2010-01-06


大西順子公式サイト
ユニバーサルジャズ・アーティストサイト→引退に伴い削除された模様


 僕がそのライブに行くことになったのは本当に偶然だった。そして、2009年の年末の小さなジャズクラブで、世界に誇る日本人3人と同じ空間にいる奇跡的な幸福を味あわせてもらった。

 観逃したロードショーを、DVD発売までの絶妙なタイミングとカップリングで上映してくれる目黒シネマに、その日僕は行っていた。日の暮れるのがすっかり早くなった10月の週末の夕方、観終わったばかりのミッキー・ロークの『レスラー』とジェイミー・フォックスの『路上のソリスト』の余韻をまといつつ、権之助坂をどこ行くでもなしに下る。僕はiPhoneでメールやTwitterをチェックするために立ち止まり、歩道からビルの入り口に佇んだ。そこはうっかりすると見過ごしそうなくらい小振りのホテルで、小さな車寄せの脇に、地下店舗へ延びるスノッブファサードの階段があった。ライブハウス? ブルースやジャズを中心にライブが開催されているみたいだ、こんなところにジャズクラブがあったとは知らなかった。置いてある店のライブスケジュールをもらって食事をするために有名なとんかつ屋に向かった。ヒレカツが揚がるまでの待ち時間、ジャズクラブのパンフを見ていると年末に1回だけ大西順子のライブがある! 僕は昔のジャズの名盤がiPodの容量の五分の一くらい占めている程度の軽いジャズファンだ。生きている人のアルバムはほとんど聴かないが、大西順子だけは別で、9月のブルーノートの彼女のライブにも行って、いろんな因縁を思い出したりした。大西さん、本当に復活したんだなあと嬉しくなり、とんかつを食べ終えると、その店、BLUES ALLEY JAPANにもう一度戻り、12月27日のチケットを購入した。

 18時30分の開演まで間が持たなくて、かなり早く目黒に出て、僕はまた目黒シネマで西川美和の映画を二本観た。それから日本を撤退してしまうウェンディーズハンバーガーとチリポテトを食べた(ジャズクラブでしっかり食べるほど懐が豊かじゃないw)。ウェンディーズが混雑していたこともあり、僕がブルース・アレイに着いたのは開演間際になってしまった。それほど大きくない(100席くらいか)のクラブは既に満席状態だ。チケットを黒服に渡すと、ひとりで来店したジャズ好きオヤジが集う、丸テーブルの一席に通された。ステージかぶりつきの一等席だった。席までの途中、店内に、あれ?まさか?という人がいることに気づいた。確かに昔の著作の中で彼は大西順子のファンだと書いてあったけど…。ビールを注文しながらもう一度確認すると、間違いない、村上春樹だ。僕は大西に関しても相当長いファンだが、ハルキさんは四半世紀以上彼の著作を何度も読み続けている。このブログにも長々と『1Q84』に関していろいろ書いた。いやいやいや、何だか(個人的にとっても)盛り上がってきた。店内も開演を待つ、ざわめきと食器の触れ合う音の中、ぴりっとした緊張感を伴なう、あの独特の<空気>が醸成されていく。
 10分ほど遅れてミュージシャンたちが登場した。今夜のステージはいつものピアノトリオに管を3本加えた「ゴージャス・バージョン(大西談)」。僕は何しろかぶりつきの席に座っていたから、最初は地音の大きなホーンセクションばかり聴こえていたが、徐々に自己耳内イコライザーwがはたらき、全体の音が見えてきた。
 ピアノに向かう大西順子の右後ろの座席に僕はいたのだが、そこからは鍵盤の両手は直接見えなかった。その分、足の動きを真近に眺めることができた。基本的に右足がペダル操作をして左足がリズムをとる。僕は彼女の左足のリズムの刻み方が特徴的なことに気づいた。六人のセッションだから、ピアノを全体に合わせる時には、大西はブーツのかかとでリズムを捉える。そして自分がリードをとるパートになるとつま先で微調整をするように拍子をとっているように思えた。リズムが速く過激になるにしたがって大西順子の左足は止まる。彼女の特徴的なアグレッシブなソロを弾いている時は基本的には足でリズムは刻まれない。大西の左右の十指がより複雑な旋律を奏でる時、彼女の左足は自分の中のリズムを確認するかのように、つま先で細かなリズムを刻み始める…。大西順子は左足も含めてピアノを弾いているのだ。
 オリジナル曲からは「ポートレイト・イン・ブルー 」が演奏された。ブルーノートでも大西はこの曲を演ったのだが、本当に気に入っている曲なのだろう。

 1時間あまりで1回目のステージが終了した。いいライブだ。親密な雰囲気の中にも緊張感と期待がみなぎっていて、大西たちはそれに十全の呼応してくれた。トイレに行こうと席を立ち、店の奥に向かうと、にこやかに談笑する小沢征爾の姿が眼に留まった。やれやれ(ハルキさんもいるから使ってみたw)、今夜のこの目黒のジャズクラブは本当に凄い空間になってきたと嬉しくなった。
 20時15分過ぎ、2ステージ目がまずはトリオで演奏された。続いて管も加わり、大西のピアノに徐々に店内の暖まった空気が化学反応を起こそうとしていた。仮のタイトルで「6番」とつけられた、東京ジャズフェスティバル2009でも演奏されたオリジナルが始まる。この曲の大西のソロのイメージの拡がりは圧巻だった。聴く者に息を飲ませ、遠い記憶へと誘うようなクリスプな演奏。
 音楽が記憶を喚起することは誰もが体験があると思うが、僕の場合、ポップスを聴くとその曲を聴いていた時の自分の<気分>が再生されて、様々な想いが呼び覚まされる。映画音楽はその映画は勿論、観た映画館の空気の匂いや一緒に観た人のことを思い出す。僕にとってジャズはちょっと特殊だ。ジャズを聴くと唐突な記憶が喚起される。タグすらついていないような、忘れていた記憶の断片と対峙させてくれる。編集しようのない、カットされた名前の無い想い出たち。だから無情にジャズが聴きたくなる夜が時折あるのかもしれない。
 ホーンとのハモリを楽しむように大西順子は鍵盤を跳ねる。フレーズが展開され応酬される。アドリブの掛け合いを無邪気に弄んでいるかのようだ。井上陽介の笑顔がすっと演奏を取りまとめる。
 アンコールの演奏前大西順子は、今回のステージは一曲も気が抜けず、全部譜面を読みながら皆演奏していると笑っていた。確かに緊張感が心地よく、とても豊かでイメージが膨らむライブだったよ。客席も凄いことになってたしw。
 アンコールを弾き終えると、大西順子はクールな笑顔を浮かべて(それでも昔よりも幾分愛想良く)、颯爽とステージを去ってゆく。村上春樹小沢征爾と、そして僕たちの万来の拍手を浴びながら。
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大西順子@ブルース・アレイ・ジャパン』
2009年12月27日(日) 18:30〜、20:15〜
(Pf)大西順子 (B)井上陽介 (Ds)MOGU (Tp)岡崎好朗 (Tb)片岡雄三 (T.sax)鈴木央