映画『BASURA バスーラ』感想

 チケットをもらったので恵比寿まで観に行った。フィリピンのマニラの「ゴミ山」に暮らす人々を追い続けた四ノ宮監督の、「スカベンジャー」三部作のラストとなるドキュメンタリー映画だ。「バスーラ」とはタガログ語で「ゴミ」を表す 。
 映画の公式サイトにはそうそうたる文化著名人の応援メッセージが並ぶ。製作委員会にもこの映画の主旨に賛同して寄付をなさった方々の名が連なる。
 僕自身、ボランティアや寄付活動といったものから縁遠い人間であるから、こういった「問題」を捉えたドキュメンタリーをあれこれ言うのは結構はばかられる。しかし、あえて、それはさて置いて、映画として、とりわけドキュメンタリー映画としての感想を書かせてもらう。
 ドキュメンタリー映画はフィクション映画よりも、実は監督に作家性が問われるものだと思う。マイケル・ムーアの例を出すまでもなく、ドキュメンタリーのおける<事実>はその監督の主張や社会観によって編集されるものだからだ。しかし、そうした作家性という「視点」によって、これまで注目されなかった事件や、偏った認識をされてきた出来事、そして大きな力によって隠蔽されてきた真実を世に問うことの有用性は高い。
 四ノ宮監督の前二作を僕は観ていないので断定はできないが、この『バスーラ』を見た限り、監督の「視点」から我々に訴えかけてくるものは正直あまりなかった。二十年かけて作り上げた現地での人間関係やネットワークから撮影される入り込んだ映像は、フィリピンの困窮や社会的問題の多さを伝えてくれるけど、この情報社会において、まあ、初めて知るショッキングな事実でもないし・・・。映画として、散漫な構成や物語を進める主観のブレなど、あれれと思わせる部分も多々見受けられた。今回の映画の撮影期間は約半年だったらしいが、その中で、「20年前から何も変わっていない」と断定してしまう冒頭に、この映画、ちょっと危険をはらんでんなあ、とまず身構えた。
 釈然としない感想をいだきつつ家に戻って、この映画と監督に関していろいろ検索してみた。四ノ宮監督は様々なメディアで、何故この映画を撮ったのか、この映画でどうしたいのかを熱く語っているようだ。僕なりに要約すると、この映画を観ることで世界の現実を知り、そこに問題意識を持って、特に若者にはアクションを起こしてもらい、ひいてはそれが世界をよりよく変えてゆくということらしい。う〜む。表現者ならば、それはいちいち標榜するものではなく、作品から感じ取ってもらい、それぞれが各々のやり方で行動するものではないかと僕は思う。
『バスーラ』を観ていていちばん気になったのは、撮影の未熟さだ。ドキュメンタリーには臨場感も必要で、時として撮影アングルなど放棄して押さえなければならないショットもあることは分かる。ただ、この映画のカメラマンの映像には突発性のないシーンでも素人のような撮影カットが目につく。クレジットされている撮影の方を検索してみると、映画のカメラマンとしてはこの映画しかヒットしない。同名の人がアジアの子供たちを救う目的のNGOの代表にいるようなので、たぶんこの人が撮影したのだろう。不安定な横パンやズームもそれなら納得がいく。この映画には、1作目の『忘れられた子供たち スカベンジャー』のモノクロ映像が重要な場面に引用されるのだが、この映像だけズバ抜けていい。1作目のカメラマンである瓜生敏彦氏をググってみると、彼は現在フィリピン在住で、現地でボランティア財団にいるらしい。マニラのコミュニティにもネットワークが強い方のようだ。何年か前、大地康雄が監督した、フィリピンを舞台とした映画のライン・プロデューサーにも彼はクレジットされている。ネットで検索した情報だけでは物事の一面しか分からないけど、『忘れられた子供たち〜』を作って、フィリピンに関して何かを<引き受け>、実際に行動したのはもしかして瓜生氏なのかもしれないと思った。


BASURA バスーラ
監督:四ノ宮浩
2009年6月27日(土)より7月24日(金)まで
東京都写真美術館にて公開
公式サイト